
藤沢町の医療は、1951年(S26年)から1968年(S43年)までの17年間、岩手県立藤沢病院が担っていましたが、医師の確保が困難になり、県立千厩病院附属藤沢診療所に移行、1980年(S55年)に完全に廃止されました。藤沢町には、無床の国保診療所が3ヵ所ありましたが、“やがて訪れる”高齢社会に対応すべく、先行して設置していた保健センターに隣接する形で19床の国保藤沢診療所に特別養護老人ホームを併設して1982年(S57年)に福祉医療センターを設置しました。
この福祉医療センターは、「価値ある長寿社会藤沢の実現」を目指して、それぞれのニーズに合わせて切れ目のない総合的なサービスを提供するために保健・医療・福祉に関る各部門がお互いに連携した取り組みの構想を組織化したものです。
しかし、診療所を核にした福祉医療センターの段階では、医師の確保が難しく、依然として安定した医療の提供ができませんでした。この頃の亡くなる町民の7割は、町外であるという現実から「最期まで暮らせる町でなければ、本当の古里とは言えない」と町立病院の建設に向けた取り組みを開始することになました。
病院建設は困難を極め、最初のハードルとして岩手県から開設許可を得るまでに3年を要しています。病院は、保健・医療・福祉が連携することで予防から医療、介護までを一体的に行う地域包括ケアを推進することが必要であり、これからの高齢社会を支えるための中核になるものであるということを訴え、町民総意の願いとして行政と議会が一緒になって取り組んだ結果、その実を結んだものです。次のハードルは、医師の確保です。「地域に密着して福祉と連携した医療を担う」とうい理念を理解してくれる医師が見つかりませんでした。民間病院や大学病院と組織的に協力関係を築こうとしましたが「発想は良いが現実は難しい」との反応で進展しない状況が続きました。1991年(H3年)の秋に自治医科大学を訪ねてからは、大学の建学の精神に一致すると理解をいただくことが出来たことで、医師の確保に結びつき、1993年7月20日(H5年)に国民健康保険藤沢町民病院の開設に至りました。